2014/07/25

2014/07/19

国際海峡、国内海峡

 山口県の美しい角島に漂着するゴミ問題を世界に訴えているアメリカ人青年マイケルと角島から韓国まで漕いで行ったダイドックの原さんとが乗ったW艇が韓国に着いた時の韓国テレビの好意的な歓迎ニュースは大変良かった。心温まる友好のシーン。小さくつないだ3つの小さな旗、韓国旗、日本旗、米国旗をカヤックの上から2人がひろげて見せる。
 取り囲む人たち、たどり着いた成功の喜びが伝わる歓迎風景だった。
 そのご、「海にボーダーは無かった海はつながっていた」と原さんが言った。
 本人から帰り着いたと電話があったけど運転中だったので来週、配達かたがた会ってきて話ししてきます。水野

2014/07/16

昨日のこと今日のこと明日のこと

 昨日、古いホエールウォッチャーに乗った原さんと、マイケルは、韓国に着いた成功したとリアンから聞きました。やったねおめでとう。また漕いで日本へ帰ってくるのかな。
 今日の表紙の写真は、先頭が知床エクスペディションの新谷さん、手前がアルガフォレストの柴田さん、白いのがウォーターフィールド水野、向こうはレインボーの佐枝美ちゃん。野川さんが撮ってくれました。
 その後、白いカヤック(シメスタ5ピース)は野川さんに預けて試にカヤック誌の取材などに使ってくれることになりました。なんじゃこらワールドかな。携行バッグに入れて背負うことが可能です。
 今日は、カナックモスキートの5ピースをフェザークラフト社の段ボールに入れて組立カヌーということでヤマト便で出荷しました。熊本から栃木まで5000円でお釣りが10円来ました。栃木の人は外国人で、これを持って海外に行くそうです。シーカヤックもヤマト便で送れるサイズだと安いですね。海外へ送っても3万円ぐらいでいけるかな。やたらフェザークラフト社の段ボールに入れて世界中に送ったら、怒られるかな。なぜ、フェザークラフト社の段ボールかというと、輸入しているラダーをい入れた段ボール箱のリサイクルです。いいアイデアです。大きくて丈夫で邪魔だから何とかして、と女房が言うのでした。
 今日の伊東さんのページを見ると、WFK北米店のカナックも順調に売れているようです。
 スペインの人も取りに来るので作ります。その前に神戸のアメリカ人のも作ります。ワールドなウォーターフィールドになってきましたが、相変わらずすごくぼろ工場で、そのうち台風で壊れるでしょう。
 明日は鹿児島港まで走って、沖縄のケラマカヤックセンターさんに、外国人の大きい人が3人乗れて余裕のグレートジャーニーを送ります。外国では前のコクピットでのラダー操作も多いので、3つのどのコクピットでもラダーでも固定でも簡単に切り替えられるようにセットしました。3人交代で船長ごっこで遊ぶのもできます。
 奄美の天野さんのところにもツインを送ります。
 水野
 

2014/07/14

おまけも面白かった

三陸ジャンボリーが終わって、夜は宮古市の地元の方々と、参加者の居残り組の我々は寿司屋さんで食事会だった。寿司屋さんは、被災地の中に再建されていて、周りは跡が残っていて、よそから来た私は、すごいなと思う。お客さんは多くて、元気で力強く繁盛している。 
 泊は、宮古のアスリートカヤッカーの加藤さんのお洒落なきれいなお家にみんな泊めてもらった。10人以上で押しかけて。それも楽しかった。自分はお礼ちゃんと言えたのだろうか。
 岩手県宮古市を後にして6人になった我々は、柴田隊長の企画で秋田県の川を下って海まで漕ぐことになった。事件が起きた、怪我はなかったが2艇のファルトが破損,航行不能。、、、7月末に出るカヤック誌に柴田隊長が書いてくれるでしょう。、、、
 それでも、段取り替えして、日本海の海まで漕いで出られた。秋田の人たち(特に老人)にも少し触合え,川もいい、河原のキャンプもいい、いい旅となった。
 水野

2014/07/11

三陸楽しかったです

今回三陸ジャンボリーには、試乗艇として4艇持参しました。(シメスタ500、シメスタ5ピース、スパルタンキング、知床。) 
 表紙の写真のシメスタ5ピース。パドルはアリュート3ピースです。そのパドルはNorthern Light Paddles(WATER FIELD NORTH AMERICA店のポールさん)の製品です。どちらも携帯型で初めて使いました。自分で言うのも恥ずかしいですがカッコいい名コンビというところです。
 スパルタンキングと知床はどちらもラダー付にして、三陸支援の心ばかりですが、MESAさんにプレゼントしてきました。なお知床のほうはWFK宮崎の松本さんが出してくれました。これから三陸の海を皆さんに楽しんでいただくことを願っています。
 ウォーターフィールドチーム

2014/07/10

海はコントラストにかわる

キャンプ地からの帰りのパドリングは、だいぶ静かな海になっていたのでコースタルツーリングで美しい崖に沿って漕ぐ。うねりが入って崖に打ちあげるところもあったが、山田湾に入ると、静かな海はさらにべた凪になって、のんびりと帰り着いた。
 今回、三陸の海は、ごく普通の状態の漕ぎやすい条件だったと思う。広い山田湾から少し出て外洋のうねりの入る雄大な海も漕ぐことができた。現在の私はそう感じた。人それぞれ感じ方も違う。往復の往では、うねりの高いところがあった。が、風がなかったので不安はない、だけど、キャンプ地に上陸して1人の方が、「新谷さん、知床ツアーでは、こんな状況でも出るのですか」と、質問されていた。「出ますね」と新谷さんが答えていた。確かにキャンプ地の入り江の前のうねりとブーマーは迫力あった。私もそういう時代があったんだと思い起こした。
 つづく
 水野
 

2014/07/09

誰かの思いやり

誰かが、朝のコーヒーを入れてくれて、誰かが、昨夜の残りの鍋のムール貝をむき身とだし汁に分けて、新谷さんが味見をしながら、スープと貝雑炊との朝食にしたててくれた。朝食を食べ終わったころ
 この上に、昔の人が「ここから下に家を立てるべからず」と書いた石碑があると教えてもらったので
 貝雑炊のおかわりをシェラカップによそいで、行儀悪く歩き食いをしながら峠への道を石碑があるところまでやってきた。浜から10分も歩いて上がってきたところにその石碑はあった。平成23年の津波到着地点と記された新しい石碑があって、その少し上に「大津波記念碑」と題し少し苔むし峠道を見守るように、今もしっかり立っていた。書き出しに、「高き住居は児孫の和楽」と書かれ、子孫えの思いやりと願いを込めてあり。明治29年と昭和8年に大津波があり部落は壊滅した、これより下に家を立てるな。何年たっても忘れないで注意あれ。とそんなことを書かれていました。おかげで結果として、この地の80年後の子孫は、先祖の言葉に従って人的被害はなかったということです。「べからず」とは書いてありませんでしたが、読んだ人はきっと自ら心に「べからず」と刻むのだと思いました。
 地域への思いやりの文は、我々のシーカヤックライフにおいても、安全を伝え願う手本のように思いました。
 つづく
 水野

2014/07/08

キャンプの夜

キャンプの夕食が一段落するころ、提供品のジャンケン大会。過去メレルのアクアシューズを2足ずつ2回提供している丸紅フットウェアーさん。あのシューズはいい、ほしい、と思っている。が、今年は「メレルのアクアテラなどを扱っている丸紅フットウェアーです」と自社紹介で、ほかのもの、どっちみち貰えないいんだけど、ちょっと残念。
 貰うことを考えてしまっている私はウォーターフィールドからは、何も提供していないことに気付く。それと相反するようにスクープアウトさんからは豊富に10種40点ぐらいの提供品があり、じゃんけん大会が充実した。
 漕いできて、早めの時間から食べて、飲んで、たき火を囲んで交流して暮れて行って、静かにテント村は寝静まって、夜が明けかけた朝4時ごろ、姉吉漁港に降りてくる小型トラックの音で目が覚めた。
 道を挟んで30も40もテントが張られている中を、小型トラックのこの辺の漁師のおじさんは気を使ってくれているのか、普段からそうなのか、と思うようにそーとトラックを運転していました。
 私が起きだすころ新谷さんも起きてきて、お湯を沸かす焚火をおこして静かに朝が明けて行った。
 つづく
 水野

2014/07/07

差し入れ

地元から差し入れられている海鞘(ホヤ)、牡蠣、ホタテ、ムール貝など、大きいのがいっぱい。  
 20年前、韓国西海岸の木浦に上陸して、初めて口にした煮立った鍋に入った玉子大の海鞘が、口の中で破裂して火傷でひどいめにあったいらいだ。今回は大きな新鮮な生を勧められる。手のひらいっぱいにおかわりして食べた。
 牡蠣は、九州や広島では焼き牡蠣で食べることが多いが、こちらは鉄板や鍋で湯がくのが多いのだろうか。翌日の昼の牡蠣小屋もそうだった。
 とにかく豊富で,もういいというほど食べた。
 51人のうち、ちょっと残念なのは、仕方ないけど、地元岩手のパドラーがまだ少なかったです。5人ぐらいだったのではないでしょうか。これから少しずつ増えていくことでしょう。仙台あたりからの参加は多かったです。
 今日のツーリングは速い人が速くて、見えなくなって、何処に行っていいのか迷子になりそうだったよ。大勢来たから頑張ったのかな、と地元のパドラーに言うと、その人は、自分スーとスタートしたら、いい気持ちになって、オレの視界に誰も入れたくなくなったんです、ここまで来て皆が来るのをずーと待ってたんです。バカだね先頭を行く人は後ろがついてきているか何回も振り返って見るもんなんだよ、と赤ちゃんのお母さんで三陸応援隊の女性が母のように叱る.幼児のようにハイと聞いていた。
 つづく
 水野

2014/07/04

交流の始まり

キャンプ地の浜は、入り江の一番奥、山間の沢が流れこんでいる、リアス式海岸のV字の山肌の崖に挟まれた所にあった。正面奥は海から続く左カーブの谷間の道が峠を登るように小さくつづいている。
 元キャンプ場だったという施設は流されて何もない。少し上がった所の駐車場はきれいな舗装面が残っていて、仮設トイレを置いて使えるようになっていました。  
 トイレを借りにと駐車場に上がっていくと「 駐車場 トイレ」と書かれた看板に大学ノートぐらいのプレートが一枚貼ってあって、「トドヶ岬までの道案内」と題されていた。「トドヶ岬に行くにはこの道を下って姉吉漁港の少し手前で左の細い道を歩いていくと約1時間です。」と書かれていた。地区の人の何か優しい思いやりを感じて、その道を下って細い道の前までいってみると「バイクで来られた方へ、カラスがいたずらすることがあります。荷物に気を付けて行って来てください」と、さらに目立たない小さいプレートに記されてあった、ありきたりの文の中に、また地域の雰囲気と思いやりを感じました。
 キャンプの皆の食事は、何人かで始めだしたところ、そのうちすぐ新谷さんが中心になって、というより、ほとんどお一人で大活躍。新谷さんにとって飯炊きは自然なんだ。知床セットを持ってこられたかのようにきまっている。それで、我々は新谷さんに任せて出来たての新鮮な海の幸で飲み始めたり楽しんだりし始めたころ、一人でやっていた新谷さんの声が飛ぶ「本橋ぃ、自分のテントなんかやってないでこっち来て手伝え」とサニーコーストの本橋さんを呼びつけて手元にした。今シーズンから知床で新谷さんの知床を手伝うと一緒に来たのに眺めているだけの仁多さんに、行って手伝わなくていいのかい。と聞くと、新谷さんはああやっていろいろな人と交流しているのです。と、にたっと旨そうに酒を飲みながら言う。
 食材は50人では有り余るほどの三陸の海の幸が差し入れられているので大ご馳走になった。食べて飲んで楽しい交流会が始まった。
 つづく
 水野

2014/07/03

海はいいな

カヤックジャンボリーの参加者の50人の集団は、バラエティーに、うねりの打ちつける沿岸を避けるように少し離れて、めいめいの速さで沖を行く。目的のキャンプ地の浜までの中間地点。前と後ろは離れているので全艇は見えないけど2kmぐらいににわたって海原にカヤックが浮かんでいる。漁船や釣り船は1船も見えない。カヤックだけの三陸海岸の山田の海を静かに漕ぐ。
 後ろの10人ほどは遅いが、新谷さんをはじめほとんど業界人ばかりなので問題はなさそうだ。その時はそう思っていた。が、その一応業界人の高橋玲子は、小柄で華奢な、か弱い女性の代表のようなところがある。先ほど釣り上げた興奮の反動だったのだろうアドレナリンを大量に放出してしまって力がなくなるほど疲れていた、と、気づいて彼女を見守って励まし漕いでいた友人の西谷さんから後から聞かされた。
 ご苦労様のうちに目的地の入り江の前まで来た。入江はゆるい左カーブを描いて奥まっている。海底に隆起しているところがあるのだろう、外洋のうねりは入り江に向かって左側で大きく太いブーマーを描いている。ブーマーを遠回りしてカヤックの集団はそれぞれ入り江に入っていく。目的地の姉吉漁港の横の元キャンプ場の浜に着いた。
 つづく
 水野

2014/07/02

海は素晴らしい

 カヤックの集団はスタートすると17、5km先の入り江の浜を目指して進む。
ジャンボリーは、たしか、自己完結できるパドラーの参加をうたっていたようなことを思い出した。集団で動いているが、案内役や世話役はいない。早く漕ぐ人は早く行く、ゆっくり漕ぐ人はゆっくり行く。ほとんどの人がコースは解っているようだ、自分のように地図も持たない行くところも解らない人は少ない。最後尾からついて行く、7㎞ぐらい進んだ山田湾の出口の岬のあたりで、ゆっくり行く後部集団は岬を楽しむようにめいめいに小休憩を取っていた。
 ルアーを海中に投じた高橋玲子に即ヒット、突然のヒットに集団は彼女を取り巻いて見る。見事40㎝クラスを釣り上げた高橋玲子は、たかだかと叫ぶように声を出す。「はじめてぇー」。「うれしぃー」。「社長に報告しなきゃー」。最後の「社長に報告しなきゃー」には。シビレてしまった。
 山田湾を出ると外洋のうねりが崖に打ちあがってゴーゴーと音が迫力を奏でる。海は素晴らしい。
 つづく
 水野

2014/07/01

ジャンボリーの始まり

 当日の朝、本州最東端の夜明けは早い、まだ4時、九州とは1時間ぐらい早く感じる。
ぼちぼちと釜石から2,30㎞先のジャンボリー集合場所の、宮古市山田町の海岸へ移動する。
 山田町の道の駅まで来ると、そこが集合場所かと思った。昨日いなかったレインボーの佐枝美ちゃんやスクープアウトの高橋玲子ら業界人がそろって長旅の休憩をして、くつろいでいた。夜遅く長距離運転で到着されたのだろう車中泊中の一般参加者の方の車も何台かある。中で寝ている方に気もかけず、屋根に積んである2分割のホエールウォッチャーが気になって近寄って、どこどこに出荷した艇かな、とついつい声を出す。中で寝ている人が起きちゃうよと、友人の西谷さんに注意される。まだ7時まえだった。
 8時ごろ、すぐ先のジャンボリーの受付会場に到着しても。受付は10時から、出発は12時予定。今回の目玉製品、バッグボート(携行バッグに収納した5分割艇シメスタ)、人が大勢集まる10時ごろセンセンショナルに発表しようと計画していたのに、待ちきれなくて8時に数人の前でお披露目。興味のある人は、抱えたり背負ったり、それぞれまあまあ受けた。組立完成すると、何の変哲もないただのシーカヤックになった。出来たばかりでまだ進水はしていないので。この日が進水になる。1年のカヤック断ちも晴れて、気持ちもめでたいので、その辺の数人の人に見てもらって、久しぶりに真似事の神主さんになって祝詞(のりと)をあげて簡単に進水の儀式を執り行った。どんな形でも祈り願う気持ちが大切です、と本物の神主さんに聞いたことがあります。白いカヤックに黒いライン。白いパドリングジャケット(ただの通学合羽だ)に黒いPFD 。自分では白装束で決めたつもりでいる。
 全員、早めの昼飯を牡蠣小屋で交代で済ませて、なんとなく準備完了した様子を確認すると、出発しましょうか、と野川さんの声がかかったのか、集まりの挨拶も注意も出発式も何もなく、時々靄がかかる曇り空の海へ全員漕ぎ出していく、どこへ行くのか知らない私は、ただついていきます。ジャンボリーが静かに始まりました。
 つづく
 水野